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【鎌倉】妙本寺の歴史をめぐる

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今回は鎌倉の妙本寺に関する歴史を解説したいと思います

この記事の内容

1.妙本寺の歴史

2.妙本寺について(基本情報)

また妙本寺の散策動画もありますのよかったら、どうぞ!

【鎌倉】妙本寺について

妙蓮寺の歴史の前に、基本情報について書いておきます

建てられた年1260年(鎌倉時代)
宗派日蓮宗
開いた人(開基)比企大学三郎能本
(ひきだいがくさぶろうよしもと)
文化財・祖師堂(有形文化財)
・銅造雲版(国重要文化財)
・十界曼荼羅(寺宝)
・釈迦如来像(寺宝)
・木造日蓮聖人像(寺宝)
住所鎌倉市大町1-15-1
拝観時間9:00-16:00

たくさん文化財ありますよね!

また建てられた年も、鎌倉時代で古くからあるお寺です。

妙本寺の歴史について解説

妙本寺の由来(開いた人と、お寺について)

妙本寺は1260年からあることから、日蓮宗最古のお寺です

寺院の創設者は、比企大学三郎能本は順徳天皇に仕えた儒学者であり、比企一族の生き残りです。

1203年に、北条氏は鎌倉幕府の将軍である『源家(当時、2代目将軍は源頼家)』と密接な関係にあった妙本寺付近に住んでいた比企一族を滅ぼします。これが比企の乱という争いです。

比企の乱の時に、その場にいないで生き延びた『比企大学三郎能本』は、鎌倉で日蓮宗を布教している『日蓮聖人』に出会い、妙本寺を開きます

こうして『妙本寺』はできました。

なぜ妙本寺で比企の乱は起きたのか?

比企一族は、鎌倉幕府の『初代将軍・源頼朝』の乳母を務めた一族であり、戦地でも一族は武将として活躍していました。

『2代目将軍・源頼家』の乳母も務め、将軍家とも密接な関係でいました。

その時、源頼家を出産したのが『北条政子』であり、比企一族にとっては敵となる『北条時政』の娘でした。

北条氏と、源家は主従関係にある御家人でした。

そのため、源頼朝と北条政子が結婚しても実権を握ることが事実上できませんでした。もし御家人のうち誰かが将軍になったら、上司と部下のような管理体制が崩れるためできなかったと考えられます。

しかし、北条氏が実権を握る転機が訪れます。
初代将軍・源頼朝の急死です。

源頼朝亡き後、実権を握りたい北条氏は、有力御家人を次々と滅ぼしました。

この流れで起きたのが『比企の乱』です。

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